今回の地裁での判決は1988年の最高裁判決の所謂「カラオケ法理」をそのまま当てはめた「結論ありき」の判断であったと感じます。
「著作者は公衆に聞かせることを目的として演奏する権利を有する」(著作権法第22条)とありますが、通常のレッスンの形態(先生と生徒の1対1、あるいは生徒5名程度のグループレッスン)が「公衆」とは、一般的な感覚からはとても思えません。また、音楽教室で行われるレッスンでの練習や指導の音楽は、完成に近づけるための「未完成の状態」であり、「聞かせる」ための演奏とは言えません。一方、カラオケやダンス教室での音楽利用は「完成された状態」の音楽を流すのですから前提が全く異なります。
1970年、現行の著作権法が制定された当時、すでに民間の音楽教室は全国に広く存在し認識されていました。そして、先生が見本を示して生徒が弾くというレッスンの基本形は50年前の当時も今もほとんど変わっていません。何か新しい技術革新により、レッスンでの音楽利用が著しく権利者を侵害するリスクが出てきたわけでもなく、前提条件に変化がない中で、何故著作権法の制定から半世紀近くもたって徴収を始めるのか理解できません。
音楽教室事業者にとって、著作物・著作権者を保護することは最も大切な価値観の1つであり、そのことに対しては何の異議も疑問もありません。支払うべきものは当然に支払わねばなりませんし、経営が苦しいから無理だというようなことを主張しているわけではありません。レッスンでの使用を前提としているはずのレッスン用教材・テキストに含まれる楽譜は、購入時にその使用料は支払い、さらにレッスンの成果を披露する発表会でも使用料を支払っており、全体としては適切な負担をしていると考えています。
もしこのままレッスンからも徴収された場合、私たち民間事業者はJASRACの管理楽曲を使わない方向に動かざるを得ないでしょう。クラシック曲などの著作権切れの曲だけを指導する教室やコースを準備することは実際に可能ですが、それは、お客様や子供たちが日々親しんでいる「弾きたい」と思う音楽でレッスンしないことになり、長期的には著作者にとっても不利益になると思われます。
音楽文化の発展には、演奏者を育成すること、音楽利用を促進すること、そして著作者の創作意欲を高めるために適切に権利保護を行うこと、の3つをバランスよく好循環で回す必要があります。JASRACが著作権保護の立場から音楽文化の向上に寄与してきた功績は認めていますし、適正な権利の保護があってこそ素晴らしい音楽が誕生するという考えは私どもとまったく共通するものです。そういう意味では「レッスンの演奏権云々」ではなくもっと大きな視野で音楽文化の発展のために、お互いに何が出来るのかを考えるべきだと思います。
今まさに新型コロナウイルス影響で音楽教室も含め音楽業界が未曾有の危機に直面しています。今一度業界全体で音楽文化発展の在り方への大きな道筋を描かなければならない局面です。そのような議論が進められるように努力していきたいと思います。
今後とも一層のご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
- 音楽教育を守る会 会長
- 大池真人